
-2027-
歴史に残る古戦場
18 教興寺の戦い
大阪府八尾市教興寺6-312
教興寺
死者700人、畠山高政軍、三好義興軍交戦
戦場の教興寺は全焼
1562年5月20日、教興寺の戦いが発生しました😲三好長慶と畠山高政の衝突です😧現在の大阪府八尾市教興寺周辺が戦場と化し、たった1日の戦闘で死者700人、教興寺は全焼しました🤬
戦闘までの経緯は、1560年(永禄3)にさかのぼります😧畠山高政と重臣は、三好長慶との戦いで敗北しています。重要な城だった、高屋城と飯盛山城を失いました😲これにより、畠山高政は他の武将と連携して反攻に動きます😖六角義賢と連携したことが大戦力となります😁

戦局は変動し、1561年(永禄4)秋、三好長慶の弟が死んだことで、畠山側の勢力が活発化します😲和泉国へ進攻した畠山高政は、いくつかの勝利を収めます😖
翌1562年5月、三好側の戦略は大転換し攻撃に転じるのです🤬三好軍指揮官勢が尼崎に集結。5月20日に河内国教興寺周辺で戦闘が始まりました🤬

紀州亀山城主湯川直光が戦死
三好軍は、畠山軍に向けて攻撃を展開。当初は飯盛山城攻撃、根来衆同士の衝突が続きます。戦況は三好軍有利に展開し、畠山軍指揮官であり、紀州亀山城主湯川直光が最初に討取られました😧
一気に紀州勢が崩れる事態です。戦いで、700人以上の戦死者が出ました🤬畠山高政は一旦高屋城に退きましたが、逃亡します😖
教興寺の戦いは、三好軍勝利が決定的。畠山軍は大打撃を受けました。戦後、高政は大和国に退き、他指揮官たちも各地に逃げました😖
教興寺の戦いの影響は大きく、勢力図を大きく塗り変えています。三好長慶は、大和、南河内の支配を確立しました😧松永久秀も大和に進出、反三好勢力の城を次々と攻略しています🤬








Fascinating history, my friend. I had no idea of all the darkness behind those glorious picture. Do children in school learn about these battles?
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daylerogers さん、おはようございます。いつも有難うございます🙇♂️
今は、平和に穏やかな聖域であるこうした空間も、その昔にはこのような歴史がある、そんな事例が決して少ないとは言えません。このような戦国時代の野蛮な戦いだけでなく、近代においても、第二次大戦のような馬鹿なことを指導者たちがやっています。人命だけでなく、このような文化遺産までもが破壊されているのです🤬
戦国時代の戦闘は、都道府県で使う教科書が一律ではないので、教えるところも教えないところもあります。しかし、超有名な争いについては例外がないくらいに教えられています😬
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Thank you for sharing this powerful and vivid historical account. Your writing brings the Battle of Kyōkōji to life with striking detail and emotion, making the events feel immediate and real rather than distant history. I especially appreciate how you connect the strategic movements, key figures, and consequences of the battle—it helps the reader understand not just what happened, but why it mattered.
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vermavkvさん、おはようございます。いつも有難うございます🙇♂️
同じ日本列島という国内なのに、当時は海外ではありませんが、列島内で国として分かれており、それぞれの地に領主なる大名がいました。そのそれぞれが軍をもち、領土争いをしていたのが戦国時代です😧
戦場となるのは、領主が住む城だけでなく、多くの場合が寺院などとその周辺です。そのために戦火に見舞われ、伽藍が焼け落ちています🤬
この比較的規模の小さい教興寺の戦いでも、たった一日の戦争でしたが、700人という命が失われています。争いのすべてが、領地の拡大と勢力を広げるためにおこなわれた野蛮なものです🤬
上に立つ指導者が愚かだと、いつの時代にでも戦争を引き起こすこと、それけは歴史の教訓のようになっていながら、教訓に学ぶことをしないのです😬
今の時代は、多くの国が指導者を選ぶのは選挙になっています。しかし、有権者の思考が低ければ、戦争に走るような指導者を選んでしまいます。日本という国は、まさにそんな国です🤬
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大阪のうめ吉様 おはようございます。戦国時代と一口に言われますが、本当に全国各地で戦が行われていたようですね。教科書に出てくるような大きな戦以も・・・。当地でも地方史を見てみると良く分かります。それぞれの大義を掲げて戦ったのでしょうが、曲がりなりにも平和な時代から見ると、その戦いってなんだったんだろうと言ったむなしさだけが残るような気がします。諸行無常・・・。😢
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asamoyosi さん、おはようございます。いつも有難うございます🙇♂️
教興寺の戦いは、たった一日だけ、死者700人で比較的小さな戦争ですが、動員された軍は三好軍が60000人、畠山軍が40000人の総勢100000人の戦争です。この軍勢からすれば、決して小さな戦争とはいえないものがあります😖
教興寺にある紀州亀山城主湯川直光の碑ですが、これは亀山城があった和歌山県御坊市の有志が建てたものです。最初に討取られたにもかかわらず、碑には「湯川直光公勇戦の地」と刻まれています。地元としては称えたいとの思いが出ている碑です😁
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紀州では戦国期に活躍した根来衆、雜賀衆、湯川党の三つが有名かと思います。それぞれが宗派や権力と結びつき戦いに出かけたり、紀州の地にも攻め込まれるなど大変な時代だったようです。当地に近い根来には「根来の子守歌」など、哀愁をおびただしい歌が伝わっており、感傷を誘います。😢
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