ココちゃん通信 25-05-18(1)(2)(3)

2025年5月18日 第1390号(1)(2)(3)

写真は、和歌山県高野町高野山にある墓標です

【1面】

―1715―

⑥ 織田信長

「天下布武」掲げ天下統一目指す

2万5千の兵に3千で勝利 

和歌山県高野町高野山 

 織田信長、武家・寺家・公家と3つの勢力が争いあっていた戦国時代において、「武士が天下を統一する」の「天下布武」の言葉を掲げ、天下統一を目指した戦国時代の武将です 😲 桶狭間の戦い、長篠の戦い、本能寺の変があります 😲

 桶狭間の戦いは、駿河の(今の静岡県)大名、今川義元と織田信長との戦いで、桶狭間に陣取った今川義元を奇襲し、織田信長が勝利した戦いで、日本三大奇襲戦のひとつに数えられています 😲       

 2万5千の大軍を率いた今川義元に対し、織田信長が圧倒的に不利と言われながら3千との少数での勝利😲天下統一への第一歩になった戦いです 😃 

【2面】

信長、死に至った明智光秀の裏切り

長篠の戦い、三河の長篠(愛知県)で、織田信長・徳川家康の連合軍と武田信玄の息子・勝頼率いる騎馬軍団との戦い。戦場は長篠城と設楽原です😲

この戦いで、日本で初めて鉄砲を使用。大量の火縄銃で三段打ちの戦法で勝利です 😃
 明智光秀が本能寺にいた織田信長を襲撃した事件があります😲信長は本能寺に火を放ち、自害したとされています 😬最強の権力をもっていた実力者・信長が突然、信頼していた家臣・明智光秀の裏切りにより殺害されるという大事件です 😲 

ココちゃん通信 25-05-18(1)(2)(3)」に4件のコメントがあります

  1. 大阪のうめ吉様 おはようございます。信長をはじめ戦国期の武将の五輪塔は小さいものが多いんですよね。大きな五輪塔が建てられるようになったのは、江戸時代に入ってから。前田利家や蜂須賀小六などの墓はえ~っと思うほど小さいです。各家草創期の方の墓が小さく、本領安堵された彼らの子孫の墓(五輪塔)の方が比較にならないほど大きいのは面白いと思います。😊

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    1. asamoyosiさん、おはようございます。いつも有難うございます🙇‍♂️
      奥之院で見ると確かにそうですよね🙄これは面白いことです😅年数を経て、段々と道が良くなってきて石材などが運びやすくなってきたとも考えられますね。
      それに織田信長を裏切り、死に追いやった明智光秀の墓が同じ高野山に墓があるって理解できません😬明智家が恵光院の檀那であったことを考えても納得できません😖

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      1. あまり良く言われていない光秀ですが、彼の地元では名君として結構人気があるように聞いています。吉良上野介もまた同じ。尊氏もそうですが、その時代、時代によって都合の良いような人物像として刷り込まれていったのではないでしょうか。政治による歴史観の歪曲と言えるのではないかと思います。😊

        いいね: 2人

      2. それと、江戸期に入って大きな五輪塔になったのは、幕府による大名の財力削減という意味合いもあったのではないかと聞いたことがあります。😊

        いいね: 2人

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