ココちゃん通信 25-04-29

第1371号

-1694-

和歌山県高野町高野山にある高野山真言宗の別格本山の寺院であり宿坊です。本尊は愛染明王。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を構成しています🤗

 1211年(建暦元)、北条政子の発願により源頼朝菩提のために禅定院として創建されました。開山供養どきには栄西も招かれています😁1219年(承久元)、源実朝菩提のため、禅定院を改築し金剛三昧院と改称しました😉後には将軍家の菩提寺とし信仰されています😁

 1223年(貞応2)、北条政子が禅定如実として入道、建立奉行を葛山景倫(願性)・安達景盛が務め、源頼朝と源実朝の菩提を弔うことから大日堂、観音堂、2基の多宝塔、護摩堂二宇、経蔵、僧堂を建立しています🙄鎌倉幕府と高野山を結ぶ寺院であったことから、高野山の中心的寺院の役割を担ってきました🤗

 1238年(嘉禎4)には、足利義氏が北条政子十三回忌で、金剛三昧院に大仏殿を建立。丈六の大日如来像を奉安して政子と実朝の遺骨を納めています🤗金剛三昧院は、金剛峯寺とは別個の密・前・率の三終検額の寺院として経営されます。さらに、浄土教も取り入れています😁
 1227年(安貞元)、葛山景倫(願性)は、に西方寺を創建していますが、金剛三昧院で行勇に学んでいた心地覚心(法燈国師)を西方寺に迎えます。この時に、西方寺に金剛三昧院の禅宗部門を移設しています。以来金剛三昧院は密教寺院となりますが、実融によって律宗にも力を入れるようになっています🤗

 1281年(弘安4)には、北条時宗が安達泰盛を奉行に任じ勧学院と勧修院の二院を造営。僧侶の学道研鑽の道場となり、高野版の摺本を用いた南山教学の中心地として栄えるも、勧学院は後宇多法皇の院宣によって壇上伽藍に移建されました😢金剛峯寺の院家として扱われるのは、江戸時代初期頃と考えられています😉
 多宝塔が国宝。 重要文化財に経蔵、客殿、庫裏、台所、梵鐘、十三重石塔、四所明神社などがあります😁

ココちゃん通信 25-04-29」に11件のコメントがあります

  1. 大阪のうめ吉様 おはようございます。金剛三昧院、懐かしいですね。どこかへ出かけて帰ってくるとき、必ず坂を登らなければなりません。奥の院に出掛けようものなら、帰りは相当しんどい。父は「まさに心臓破りの丘」とこぼしていました。それでも行きはよいよい、帰りはこわいと言いながら楽しんでいました。本当は帰りついてから飲むビールを楽しみにしていたのかもしれません。😅

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    1. asamoyosiさん、おはようございます。いつも有難うございます🙇‍♂️
      この日曇りで寒いくらいでした😅特に金剛三昧院の撮影時には天気に加えて周辺の環境で薄暗い感じでした。フラッシュ使用で全体を撮るには、光が届かずで余計悪くなってしまうので😢😢こんな程度の写真しか撮れませんでした😖
      奥之院の方は山手になるのでそれほど影響はありませんでした😅それに奥之院は、「名士の墓標」の企画で使うものが主体でしたので😅それにしても、ここは墓などが多いですね😁この日は激しい腰痛に襲われ、目的の達成感はありませんでした。もう一回行かなきゃです😆

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      1. 大阪のうめ吉様 こんにちは。高野山は広く見てまわるのも大変です。ですから、やはり体力第一。おからだ大切にぼつぼつ頑張ってくださいませ。☺️

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    1. Willie Torres Jr.さん、こんにちは。いつも有難うございます😉国宝ですが、美術的に見てもかなり価値の高い建造物ですからね。このような寺は、大工さんなら誰でもが作れる、建てられるものではないですから。特別な熟練と技術が必要な分野です😁

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    1. manuelwarlok さん、おはようございます。いつも有難うございます😉
      日本の国宝の一つです。美術的に見ても、とても素晴らしい建造物です🤗町そのものが標高約900メートルの山の上にあるので周辺環境も素晴らしいところです😉

      いいね: 1人

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