大阪のうめ吉おおさか撮り歩記

ー786ー 名士の墓標

本名大石良雄、通称は内蔵助 万治2(1659)年~元禄16(1703)  江戸時代前期・中期の、播磨赤穂藩(今の兵庫県)の武士であり筆頭家老でした😲

江戸時代中期に起きた赤穂事件、赤穂浪士四十七士の指導者です。長男の主税が赤穂浪士最年少😊天王寺区のここには主税の墓標が隣に並べて建立されています🤗

1701(元禄14)年3月14日、主君の赤穂藩主浅野内匠頭が江戸城内において吉良上野介に遺恨ありとして殿中刃傷に及びましたが討ち漏らして即日切腹、赤穂藩は改易となりました😭
一方吉良には何の咎めもありませんでした🤬🤬

内蔵助は京都円山に同志を集めて「吉良邸討入り」の意志を確認します😃
その後江戸へと向います。47人の赤穂浪士を率いて同年12月14日から15日に両国の向かいにあった本所一ツ目の吉良邸に討ち入り、武林隆重が吉良を斬殺です😃その後赤穂浪士は幕府の命で4家の大名家に分けてのお預かりとなり、内蔵助は熊本藩に預けられます。翌1703(元禄16年)2月4日に切腹となりました😭
遺骸は高輪泉岳寺に葬られました🙏🙏

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