
ー725ー 走る街道

㉙ 西高野街道 part5
堺市梅北西地蔵尊~堺市榎本歩道橋


上・梅北西地蔵尊 下・その前の遠景 堺市北区百舌鳥梅北5-281
西高野街道は、平安時代から鎌倉時代初期に開かれた街道です
室町時代には高野聖の納骨や庶民の参詣の道となり、江戸時代になると大阪、堺の町人の米・酒・綿など通商の幹線道としてにぎわいように様変わりです🥰

電柱表示 堺市北区百舌鳥梅北5-448
現在の西高野街道の起点は、堺市役所近くに位置する大小路橋。高野山女人堂とを結ぶものです🤗

道標 堺市北区百舌鳥梅北5-258
この間には1857(安政4)年2月から9月にかけて建立された13基の里石がほぼ1里(4キロメートル)ごとに建ち、堺・榎元町の一三里道標石から始まり、高野山神谷の一里道標石まですべてが手厚く保護され存在しています😍

道標 堺市北区百舌鳥梅北3-116
こうした道標は近年整備されたものです😄


上・電柱表示 下・付近の遠景 堺市北区百舌鳥梅北2-101
電柱表示も道標と同じく近年取り付けられたものです
当時、電柱など存在しませんので🤣


上・電柱表示 下・付近の遠景 堺市北区百舌鳥梅北2-104
場所によっては、比較的大きな通りに出ることもあります🤗



上・榎本歩道橋 中・榎本歩道橋付近の遠景 下・耳原橋
この歩道橋を渡ると仁徳天皇陵古墳が広がります🥰
歩道橋至る前には「熊野へつづくみち」とした案内板も見られます🤗
こういうのを見ると、沿道の風景は舗装されたり家が建ったり等で時代と共に大きく変わるけれど、街道のルートそのものは変わらないから、時を越えて同じ道を人々が歩いているのだなと長い歴史に思いを馳せたくなりますね。
昔住んでいた徳島にも、こんな感じで「へんろ道」の案内看板がありました。
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