
ー326ー 史跡碑めぐり

♠20♠ 日本御鋳物師発祥地 五十間樋

日本御鋳物師発祥地碑
大阪府堺市美原区大保
日本の鋳造技術発展において重要な歴史があり、中世に河内鋳物師(かわちいもじ)という鋳造の技術者集団の本拠地となっていました😮😮
この地一帯は、平安時代末期から村町時代始めにかけ繁栄を誇り、その賑わいぶりは、大保千軒と称される程でした😲😲
河内鋳物師は、梵鐘を始め、鍋・釜等日常雑器。農機具等の鋳造を行い、技術の優秀さは確かなものです🥰🥰
「重源再興の東大寺大仏」「鎌倉の大仏」の鋳造も手掛けています😀😀😀

日本御鋳物師発祥地碑
その後、各地の需要に応じ、分散居住したため、「河内鋳物師」が衰退しました😭
ですが、全国の鋳物技術者に、この地を「出身地」とする伝承を持つ人が少なくありません😁
河内鋳物師の前身は大陸からの渡来系氏族ともいわれ、難波津と飛鳥を結ぶ古代の官道である竹内街道(丹比道)に近いこの辺りで、8世紀頃にはすでに銅による鋳造が行われていたともされています😲

五十間樋跡
大阪市平野区喜連1-5-25
江戸時代、この地域の用水は ため池や狭山池に端を発する東除川に頼っていました😁
しかし、1704(宝永1)年に大和川の付け替え工事が行われたことにより、水路が遮断されてしまい、用水の枯渇が心配されました🤔🤔
当時、喜連(きれ)村は東・中・西の3村からなっており、西喜連村の庄屋・増池弥右衛門が大和川から取水し、用水に利することを考えました🤔🤔

五十間樋跡
中喜連村庄屋伝右衛門・東喜連村庄屋重兵衛と相談を行いました。ですが、3村の領主が異なること、長吉村、瓜破(うりわり)村など他村の領域を通ることから調整は難航を極めました😞😞
3人の努力によってようやく実現となり、同年8月に工事が竣工です😂😂
この用水樋は、長さ六十九間(125m)・堤外五十間(90m)あったことから「五十間樋」と言われています😁😁