
2024年3月23日 第989号 (5) (6) (7)



ココちゃん通信
―1095―
歴史に残る古戦場
14 千早城の戦い
大阪府南河内郡千早赤阪村大字千早
赤坂城を陥落させた幕府軍は千早城へと出軍。吉野からの軍勢も千早城に向かいました😲
「太平記」によると総勢100万と号する大軍が千早城を包囲。籠城側となる楠木軍は僅か千人足らずの小勢で守ったのです。「太平記」には、「城の四方ニ
上・千早城址、下左、本丸址、同右、千早城址への最後の石段
↑千早城址へ続く石段、↓楠木公の石碑
ココちゃん通信
編集ス
タッフ
編集長
ココちゃん
三里が間は見物相撲の場の如く、打井んで尺寸の地をも余さず充満せり」と記載されています。数十倍の大軍が千早城に押し寄せて来たのです😲😲
赤坂城を陥落させた勢いで、鎌倉幕府軍は一気に攻略しようと、ろくに陣も構えず、我先にと攻城。千早城では櫓より大石を投げ落として敵の楯を砕き、逃げ惑う兵に矢が降りそそぎます🤗
谷底には死体の山がうず高く重なり、今後は総大将の許可なく合戦を行う者は罪に問うと触れを出したほどでした😅
このため、戦闘はしばらく休戦状態に陥ります😊
赤坂城の教訓から水源を断つべきとし、3,000人の兵で水辺に陣を構えさせ、城から降りてくる兵を討とうとします。鎌倉幕府軍は水源を断つ持久戦に切り替えです🤔
左、千早城址、右、郭跡
↑千早城址へ続く石段、↓楠木公の石碑
楠木側は300もの木船が水もたたえており、食料も十分蓄えています😅
軍は当初は緊張の中で毎夜を過ごしていたが、だんだんと気が緩み、楠木正成はこの機を逃さず、2、300人を闇に紛れて城から下ろし、夜の明けきらないときに襲わせた楠木軍は水辺で警戒していた兵ら20余人を切り伏せたのをはじめ休む間もなく斬りかかり、軍は持ちこたえることが出来ず、元の陣まで退却です😃
軍に「一人残らず討ち死にせよ」と突撃を命じます。名越軍総勢5000騎は味方の死体を乗り越えながらも城の逆茂木を破壊、城の崖下まで攻め込みます🫨
崖は高く切り立っており、登ることなどできません。しかも、崖の上には楠木軍です😫
城を力攻めすればいたずらにこちらだけが兵を失うので、戦闘せず包囲のみせよと兵糧攻めの命が下されます🤔
結果的に楠木軍は僅か1000人足らずの少勢で十数万の幕府軍を迎え打ったのです😅🥰
楠木軍は、用意周到の奇策、知略で幕府軍を撃退、千早城を守り抜いたのです
一度たりとも落城することのない難攻不落の城としてその名を残すことになりました😍
千早城址に置かれている楠木正成の戦闘時の武具。この日は雪が降った後でした (3月21日撮影)