
2024年3月20日 第986号 (5) (6)


ココちゃん通信
―1086―
歴史の人物像
⑪ 楠木正行
当初優位も、北四条で戦死
大阪府大東市北条 河内飯盛山
総動員に近い幕府軍高師直と交戦
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての楠木正成の長男正行(まさつら)は、1348(正平3年/貞和4年)、河内国讃良郡野崎(現在の大阪府大東市野崎)から北四条(同市北条)の四條畷の戦いで、幕府の総力に近い兵を動員した高師直と交戦した武将です😲
一時は師直を本陣である野崎から後退させるなど優位に立ちましたが、追った先の北四条で力尽き、弟の正時や従兄弟の和田新発を含めた26人の将校と共に戦死しました😭
戦いは、「太平記」によると、軍事的能力を高く評価された武将、初名を正之と言った事を除けば詳しい記録が少ない武将です🤔正行の名を不朽のものとしたのが「太平記」に記載されている「桜井の別れ」です。楠木正行について、歴史的人物像は定かでありません🤔
「太平記」に討死を前提とした玉砕と
開戦前から討死を前提とした玉砕だったと物語られています😲ですが、「太平記」の玉砕説は複数の研究者から疑問視されています🤗