ココちゃん通信24-03-17 (1) (2)

2024年3月17日 第983号 (1) (2)

―1075―

12 舎利寺の戦い 

大阪市生野区舎利寺1-2-36    
                                                
                                         

1547(天文16)年7月21日、摂津国東成郡の舎利寺(現在の大阪市生野区)周辺において、細川晴元方の三好長慶らの軍が高屋城に向けて出撃の途中、高屋城を出た細川氏綱・遊佐長教らの軍と舎利寺付近で遭遇し、激突戦闘となりました🫨
細川方の三好軍は50人以上の死者を出すも遊佐軍は400人以上が討ち死で抑え込むことができました🤬
ですが、「二条寺主家記抜粋」は双方で2000人以上の死者と記載しています。とは言え、ここでの戦闘は細川方三好軍の勝利です。残る敵は高屋城にいる細川氏綱・

     

遊佐長教です😫
この戦いは、応仁の乱以来、近畿地方においては最大規模の合戦とされています。この戦いによって三好長慶の実力が畿内に知れ渡ることになりました😲                         

舎利寺の戦いに至ったのは、室町幕府の実権を握る細川氏が、管領細川高国と、細川澄元・晴元父子の両派に分かれたことにあります😫              
抗争が続く中、高国は天王寺の戦いに敗れ自害です😭              
これによって、晴元は畿内最大の勢力になりました😲     
ですが、高国の残存勢力が抵抗を続けます。その動きは、高国の養子である氏綱が遊佐長教と結託し高屋城に入るのです🫨                       
この間各地で行われた数々の戦闘で勝利してきた晴元にとって最後の敵は高屋城の氏綱となって進撃に至ります🤬    

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