
2024年2月28日 第965号 (5) (6)


ココちゃん通信
―1023―
歴史の人物像
➉ 木津勘助
飢饉、窮民に官倉破りで米
大阪市
大国主神社境内
木津川開拓工事に尽力
江戸時代に、青年時代から豊臣家に仕えてきた木津勘助、本名は中村勘助義久。相模国(今の神奈川県)の足柄山に生まれました😊
大阪などを流れる木津川の開拓工事に尽力してきました🤗大阪の繁栄の基ともなる水上運送の便に加え、堤防を強化し、一帯の洪水を防ぐなど、その功績は高く評価されています🤗
ここに建立された銅像は、その活躍ぶりを示した姿です😍
右手に木津川に関わる設計図を持ち、手甲脚絆で威勢の良い姿で、遠く木津川を望んでいます😃
木津勘助なる人物は、こうした木津川の開拓のみではありません。一躍その名を有名にしたのは、寛永16年に、近畿地方一帯で、稲が実らない大飢饉でのこと😲
食べることに窮した人たちを救うために、官倉を破り、保管されていた米俵を持ち出したことです。この米で窮民を救うために振舞ったのです😃
しかし、民衆を助けるためであっても、官からすれば犯罪行為でしかありません🤬
島流しの処罰を受けることになったのです。当時の文には「官、特に死一等ヲ減ジ葦島(今の大正区三軒屋勘助島)に流ス」と記載されています😭義侠の精神そのものでした。😃
官がやらないことを木津勘助が処罰を覚悟してやったことです🤗