
2024年2月27日 第964号 (5) (6)


―1020―
名士の墓標
③ 細川ガラシャ
人質拒絶し38歳の生涯
大阪市東淀川区東中島5-27-44
崇禅寺境内
焼け跡からの遺骨、ゆかりの寺に
1600(慶長5)年7月、関ヶ原合戦直前でした。明智光秀の三女・細川忠興の正室・細川ガラシャは、西軍の石田三成に人質として取られることを拒絶します😲
ガラシャは、大坂玉造の細川邸で、家老・小笠原小斎の長刀のもとに38歳の生涯を閉じました😭
宣教師のオルガンデイーノが細川邸の焼け跡から遺骨を拾い、細川邸ゆかりの崇禅寺(現在の東淀川区)に埋葬しました🥰
つけられた戒名は秀林院華宗玉大姉です。この墓標のそばにある五輪塔は、殉死のした家臣たちの墓です🤗
関ヶ原合戦は、岐阜県不破郡関ヶ原町でおこなわれた
戦国時代終わり平和な時代に
東軍の徳川家康と西軍の石田三成による天下分け目の戦いとされたものです。戦場となった関ヶ原は盆地です😲
結果は、東軍の勝利となって戦国時代が終わります😊