大阪のうめ吉おおさか撮り歩

ー901ー 歴史の人物像

河口慧海(えかい)

大阪府堺市堺区 南海七道駅前

(1866~1945年) は、堺市伏町(現在の堺区北旅籠町西3)に生まれ、仏教の原点を求めた人です😲 
数え年6歳で寺小屋・清光堂で学び、7歳で錦西小学校に入学しますが、12歳で家業に従事することで退学しています😔
その後、土屋弘(鳳洲)主宰の晩晴書院で漢学を学び、1888年(明21)に上京、哲学館(東洋大学)に通います😲 
晩晴書院の同門に、慧海のチベット行きに支援を惜しまなかった肥下徳十郎、正木直彦がいます😃

河口慧海  

慧海は、漢訳仏典を学ぶうちに梵語やチベット語の仏典の収集と研究の必要性を痛感し、1900年に単身でヒマラヤを超えて鎖国下のチベットに入国します😲
こうして、膨大な仏具、標本類、資料を日本に持ち帰りました😃帰国後、生涯をチベット仏教、文化の紹介に捧げ、チベット仏教学を樹立しました。同時に、既成仏教の僧籍を返上、在家仏教を提唱し、真の仏教を目指しました😍

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