
ー814ー 歴史の人物像
歴史の人物像
🗿 2 🗿 大石内蔵助

大石内蔵助
大阪市天王寺区六万体町1-20 吉祥寺境内
この寺は赤穂浪士ゆかりの寺です😲
今日、12月14日は吉良討ち入りのため江戸に向かった日です
本名・大石良雄(おおいしよしお / おおいしよしたか)1659(万治2)年-1703(元禄 16)年
江戸時代前・中期、播磨赤穂藩の武士であり筆頭家老であり、官名から大石内蔵助と称されています😲
江戸時代中期に起きた「赤穂赤穂事件」の赤穂浪士四十七士の指導者です😃
長男の大石主税は赤穂浪士の一人で最年少です😲
播磨赤穂藩浅野家の永代家老の家に生まれます。祖父大石良欽の跡を継ぎ若くして家老になります😲
1701(元禄14年)3月14日に主君の赤穂藩主浅野内匠頭が江戸城内で高家吉良義央(上野介)に遺恨ありとして殿中刃傷に及びましたが討ち漏らし即日切腹となります😭
赤穂藩は改易となりますが、一方の義央には何の咎めもありませんでした🤬🤬🤬
赤穂城明け渡しをめぐって浅野家中では開城、切腹、抵抗など議論がありましたが、最終的に良雄が家中の意見をまとめ、藩札や藩の借金の処置にも努め、4月19日に城を受城使脇安照に引き渡します😭

大石内蔵助
この後、山城国山科(現在の京都府)に移住します。この時期には長矩の弟浅野長広(大学)による浅野家再興を働きかけ、それがかなわなかったときには主君長矩の恥辱をそそぐため義央を討つ計画を進めていたと見られています🤔
1702(元禄15)年7月に長広の浅野本家預けが決まったことでお家再興の望みは消えます😔😔
良雄は京都円山に同志を集め「吉良邸討入り」の意志を確認します😃
江戸へと向うこことになります。47人の赤穂浪士を率いて同年12月14日から15日にかけ両国の向かい、本所一ツ目の吉良邸へ討ち入ります🤗武林隆重が吉良を斬殺😃😃義央の首級をあげて泉岳寺の長矩の墓前に供えました🙏
赤穂浪士は幕府の命により4家の大名家に分けてのお預かりとなり、良雄は熊本藩に預けられます。翌1703(元禄16)年)2月4日に切腹となりました😭😭遺骸は高泉岳寺輪の長矩の墓のそばに葬られました🙏🙏