
ー804ー 歴史の人物像
歴史の人物像
🗿 1 🗿 豊臣秀吉

豊臣秀吉
大阪市中央区大阪城1-1
豊国神社境内
農民から戦国時代の武将となり、天下統一を果たした人物、それが豊臣秀吉です。父・木下弥右衛門は、尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市)の農民で、織田信秀の足軽であり、母は愛知郡郡曾根村の農民の娘でした。そんな二人の間に1537年(天文6年)に農民の子として生まれました😲
幼少時の名は「日吉丸」。1550年(天文19年) 侍になるために家を出、遠江国(現在の静岡県西部)に行き久能城主の松平元綱に仕え、その後1554年(天文23年)に尾張国(現在の愛知県西部の)清洲城主であった織田信長に仕えます😊織田信長の死後に天下統一をした人物です😲

豊臣秀吉
1561年(永禄4年)に、ねね(のちの北政所)を妻に迎え木下藤吉郎秀吉と名乗ります😅さらに、1573年(天正元年)に12万石の大名となった頃、羽柴藤吉郎秀吉と名を改めます😂秀吉は織田信長に重用され、部将として各地で転戦します😃
秀吉は織田信長に指揮官に任じられ、1577年(天正5年)に、宇喜多氏・毛利氏らの勢力圏である中国地方の征伐を開始し中国征伐で播磨(はりま)や但馬(たじま)、因幡(いなば)を平定します😊
1582年(天正10年)に、主君の織田信長が、本能寺の変で明智光秀に討たれます😭この時、秀吉は中国地方を支配する毛利氏との戦中であったにもかかわらず、即座に和平をとりまとめ姫路城に戻り、明智光秀を破って仇を取ります😃
この後も信長の重臣・柴田勝家を賤ケ岳(しずがたけ)の戦いを経て自害に追い込み、また小牧・長久手の戦いでは徳川家康・織田信雄(織田信長の次男)陣営に対し優位な形で和解を進めるなどして勢力を拡大しました😲😲
歴史に残っている人物は数多くいます。そんな歴史の人物が像となって建立されています。
そんな歴史の人物像を巡ります。
随時掲載です。次回は 大石内蔵助