大阪のうめ吉おおさか撮り歩記

ー462ー  古墳めぐり

⚰️7⚰️城山古墳

津堂城山古墳 

大阪府藤井寺市津堂
世界遺産に登録された・古市古墳群を構成する古墳の一つです😲
ここは、明確な天皇陵古墳とは異なり、古墳に登ることができます🤗
 撮影は、ウメの開花時期です



津堂城山古墳

形状は前方後円墳を構成する古墳の1つで、古市古墳群のひとつとして1958年1月に国の史跡に指定。2001年1月には、個々の古墳の指定を統合した古市古墳群全体として史跡に指定されました🥰

津堂城山古墳


実際の被葬者は明らかでありません🤔明治初期の天皇陵の治定作業では陵墓とされていませんが、1912年に、神社に建立する石碑の材料とするため、後円部の墳丘から石板を発掘したことで竪穴式石室と巨大な長持形石棺が発見されています。鏡や鏃など多数の副葬品が出土しました
こうしたことから宮内庁によって(被葬候補者:第19允恭天皇)藤井寺陵墓参考地に治定されました😫😫

津堂城山古墳


前方部は南東を向き、前方部 – 幅117m、高さ12.7m、後円部 – 径128m、高さ16.9m😲
二重の周濠が墳丘を囲んでいる。墳丘そのものは長さ208mですが
外側の周濠は宅地や田畑となっており、これを含めると古墳の全長は400m以上になります😮

津堂城山古墳


これまでの発掘調査などから築造は4世紀後半とみられ、古市古墳群の中でも初期の古墳。室町時代には古墳の地形を利用して小山城が築かれたため、墳丘の一部が掘削されています😣

津堂城山古墳


1980年に大阪府教育委員会が、1983年には藤井寺市教育委員会が発掘調査を実施。造り出しや二重の周濠(中堤幅30m、外濠25m)、石葺の外側堤(幅20m)の存在が確認されました😲
周濠内の前方部左右近くの島状遺構(方墳形の祭壇)からは3体の水鳥形埴輪が出土。このほかにも衝立型や家形・盾形・衣蓋形、靫型の埴輪、円筒型など多彩な形象埴輪が発見されました🤗🤗

津堂城山古墳


こうしたことから、大和から河内へと古墳築造が移った初期の大王の陵墓ではないかと考えられています。ですから、宮内庁が(被葬候補者:第19允恭天皇)藤井寺陵墓参考地としていることには大きな疑問があります🤔🤔🤔

津堂城山古墳

だいたい、被葬候補者:第19允恭天皇などというのがそもそもおかしいのです。允恭天皇陵古墳は近くにありますが、そうなれば、こちらの被葬者は誰なのかということになります。発掘もせずに、あれこれ治定することがおかしいのです🤬🤬 


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