大阪のうめ吉おおさか撮り歩記

ー436ー 歴史に残る古戦場

茶臼山古戦場 

大阪市天王寺区茶臼山

ここにある茶臼山が、大坂夏の陣で最大の激戦地となりました🤬前方後円墳ともされる古墳であり、山、それも「大阪5低山」のひとつに数えられる、わずか26mの山です😲現在は天王寺公園の一角として地元の人に親しまれています😁
山頂には史跡もあります🙂



茶臼山古戦場

大坂冬の陣と大坂夏の陣で、豊臣家と徳川家の戦いの舞台となった場所です😲
1614年の大坂冬の陣では徳川家康の本陣に。翌1615年には大坂夏の陣で真田信繁(幸村)の本陣が敷かれ「茶臼山の戦い」の戦地となりました😭
双方が陣を置いた地ということは、茶臼山が、大阪城攻略にとって重要な場所であったことがわかるものです🙂

茶臼山古戦場


大坂夏の陣は徳川軍15万5000人、対して豊臣軍5万5000人の戦いです。厳しい戦いになることが予想され、家康の首を取る他に勝つ方法はないと豊臣軍の武将・真田信繁(幸村)が考えていたのです🤔
茶臼山に陣を敷いた真田勢、すぐそばにある四天王寺南門前周辺には毛利勝永大将の、木村勢、後藤勢が陣を敷きました😥

茶臼山古戦場


豊臣軍・毛利勝永の先制攻撃が開始され、毛利勢は徳川軍の先鋒・本多勢を壊滅させるなどします😲

こうした勢い乗じて、毛利勢は大名を含め次々と敵を打ち取りました😮

家康の本陣は大混乱に陥り無防備状態です。そんなところに、今度は真田信繁がおよそ3500人の兵を引き連れ、徳川方最強の越前勢に向かっての突撃です😨

茶臼山古戦場

真田勢は越前勢を崩し本陣に3回に渡る突撃を繰り返しました😨
しかし真田勢は数で圧倒的に劣ることもあり、勢力の損耗が激しく、次第に追い詰められます☹️☹️

茶臼山古戦場

退去を余儀なくされた真田勢は、家康まで後一歩とまで迫ったのですが、家康の首をとることが出来ず、近くの安居神社で休息中に、徳川勢に討ち取られます😭😭

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