大阪のうめ吉おおさか撮り歩記

ー394ー 歌碑めぐり 句碑めぐり

⏭️3⏮️ 磐姫皇后歌碑 木村重成句碑

磐姫皇后歌碑 (いわのひめ) 
ありつつも 君をば待たむ うち靡(なび)く
 わが黒髪に 霜の置くまで

大阪府堺市堺区大仙町 仁徳天皇陵古墳御陵通側の散策路

磐姫皇后歌碑 

磐姫皇后は、仁徳天皇の正妻です🤗
こうやって居続け、あのお方をお待ちしていよう。わたしの靡いている黒髪に、夜の霜が降りたってかまわない。そんな思いで夫が来るの立って待ち続ける姿を詠んだものです🥰🥰

木村 重成句碑 

五月雨や 啼いて今夜は 不如帰

大阪府東大阪市若江南町2-3-7
日蓮宗・蓮城寺境内に建つ句碑です😲

2人は死を覚悟して結ばれた夫婦です。大坂夏の陣は1615(慶長20)年(1615)5月6日、7日です😣😣🥰🥰
出陣の前夜、重成は妻・青柳のつぐ酒に快く酔います。ですが、愛情込めた料理には手をつけずでした。いぶかる妻に「むかし、戦功のあった八幡太郎義家の家臣・末割四郎が、敵の矢に喉を射貫かれた時、飯粒が出て、恥辱を受けたということだ。五穀を胃に入れて戦い、討たれた後、汚物を残すことはあってはならない。だから食事はとらない」と答えています😲😲

木村重成句碑 

木村 重成は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将
豊臣氏の家臣で知行3千石。 木村重茲の子といわれています😁
生れ年は定かでありませんが、豊臣秀頼の乳母の子ということから、秀頼とほぼ同年齢であったとみられています😲



五月雨は五月の季語です。大坂夏の陣はこの五月です。出陣し、もう帰ってくることのない夜、妻を不如帰に見立て、啼いて夜をすごす妻の姿を描いた「辞世の句」と言えるものです😣😣😣
木村は、長宗我部盛親とともに八尾・若江の戦いで、井伊直孝と戦い、戦死しました😭😭😭


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