大阪のうめ吉おおさか撮り歩記

ー376ー  古墳めぐり

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心合寺山古墳 
 

心合寺(しおんじ)山古墳と読みます。「こころあうてら」でも「しんあいじ」でもありません😂😂

大阪府八尾市大竹4-5-143

この古墳は。隣接する楽音寺古墳とを合わせ「楽音寺・大竹古墳群」の総称でも呼ばれます😲

心合寺山古墳

時間制限こそありますが、宮内庁管理の天皇陵古墳と異なり、自由に古墳域内に入り、古墳に上がることができる数少ない古墳です🥰🥰
写真撮影も自由ですが、会社の宣伝や出版、放送など、業務としての撮影には管理者の許可が必要です😊😊

心合寺山古墳

1966(昭41)年2月、国により史跡指定された古墳です🤗🤗

心合寺山古墳 は、墳丘部分は南北に全長約160m、八尾市だけでなく中河内地域を代表する大規模な前方公園古墳です😀😀
全長のうち後円部直径が約92m・高さ約13m、前方部幅が約90m、高さ約12m。
前方部が南方、後円部が北方にあって、墳丘は三段築成です😲
この古墳は生駒山地の麓に等高線に沿うように築かれているだけでなく、周濠が南側と北側の2か所を堤で造って区切られています。こうしたことから、東西で水位が異なるという珍しいつくりになっています😲

心合寺山古墳

国指定史跡となった後、史跡公園として整備されました🤗🤗
墳丘の平坦部にはレプリカですが、円筒埴輪が並べて立てられています😊
復元整備では、後円部中腹の2本のキリの大木を保存する案、伐採する案がありましたが、残すことになって現在に至っています🤗🤗

心合寺山古墳

この古墳は古墳時代の中期、5世紀初め頃に作られたとされ。当時この地を支配していた豪族の墓と考えられています😲
飛鳥時代に、古墳の西側に心合寺(しんごうじ)と呼ばれる寺ができたことが古墳名の由来とされます😊
ですが、この寺はいつしか無くなってしまっています。同時に名前の言い回しも訛って「しおんじ」になったのではないかと考えられています🤔

心合寺山古墳

心合寺山古墳

墳丘は現在までほぼ原形をとどめていたことから 「国指定史跡」 に指定されました🥰
1993(平成5)年から「史跡整備事業」に伴って本格的発掘調査が始まり、2003年まで10次にわたる調査が実施されました🤗

心合寺山古墳


墳丘各段の平坦部に約3,000本の円筒埴輪が並べられ、並べ方に規則性があり、円筒埴輪、器財埴輪、形象埴輪を規則正しく組み合わせて並べられていたものです😀

心合寺山古墳

丘部の斜めになった部分には全面に葺石(ふきいし)が葺かれていました😲

心合寺山古墳

西側のくびれ部には「造り出し」と呼ばれる方壇状の部分があって、さまざまな埴輪が置かれていたと考えられています🤔

心合寺山古墳

前方部墳頂部の中央には「方形壇」と呼ばれる施設が確認。その下には埋葬施設1基がありました😲

心合寺山古墳

後円部墳頂部に長さの異なる粘土槨(かく)の埋葬施設3基、そのうち西側の「西槨」で木棺が確認され、周囲からは夔鳳(きほう)鏡、甲冑、大刀、鉄剣などの副葬品が発掘されました😲

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