大阪のうめ吉おおさか撮り歩記

ー226ー 大阪史跡碑めぐり ♠13♠   

大阪通商会社為替会社跡 信濃橋洋画研究所跡

大阪通商会社為替会社跡 

大阪市北区中之島1丁目 中央公会堂前

1869(明2)年8月の設立。当時、銀目(ぎんめ)の廃止、新政府御用金の負担、大名貸しのこげ付きで豪商がつぎつぎと倒れた時期😲😲
政府が商業振興の政府機関として通商司大阪支署を設置しました😮

※銀目 銀、銀貨を量る単位名目 貫、匁、分、厘など

大阪通商為替会社跡 

このための指導として、商業目的の通商会社、そこに資金供給の為替会社を作らせたのがこの会社。ところが、会社が発足したと言ってよい商売があるわけでなかったのです😫😫
 1873(明6)年に、一切の営業を為替会社に譲渡。この会社自体は短命に終わりましが、他の会社企業の発足につながりました🤗
 為替会社は通商会社以外の諸会社にも貸付けを行い、また為替札として金・銀券を発行。信用が創造されて広く流通しました😁
 1871年、廃藩置県による影響で、1874年には利益をあげることが出来なくなり解散です😭

信濃橋洋画研究所跡 

大阪市西区靱本町1-11 信濃橋交差点北西側

1924(大13)年、大阪、当時の南区長堀橋筋1丁目で生まれた小出楢重は
日本画の手ほどきを受けながら美術大の西洋画科を受験し失敗。日本画科編入を許可され、のちに洋画に転身しました😮😮 

信濃橋洋画研究所跡 

小出、国枝金三、鍋井克之らの新進洋画家が中心となってこの地信濃橋洋画研究所開設、多くの画家を輩出しています🤗🤗
大阪の近代洋画界の発展に大きく寄与しましたが、1931(昭6)年に中之島に移転し、中之島研究所と改称して続けられましが、1944年、戦争激化で閉鎖されました😭😭

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