
曽根崎川跡 真田幸村戦死地

曽根崎川跡
大阪市北区曽根崎新地1-5-29
大江橋上流部の堂島川から分流し、堂島一丁目と曽根崎新地一丁目の境界道路北側をほ西方回へ弧を描きながら流れ、船津橋付近で再び堂島川に合流する曽根崎川がここを流れていました😀😀

曽根崎川跡
この川は蜆(しじみ)川、梅田川、下流では福島川とも呼ばれていました。
元禄初期に河村瑞賢(かわむらずいけん)によって改修がおこなわれ、曽根崎新地や堂島新地がひらかれ、茶屋がならび賑わいました。
しかし😲
大正13年に完全に姿を消しました。近松門左衛門の名作「心中天網島(てんのあみじま)」の道行きに登場する川です😮😮

真田幸村戦死地
大阪市天王寺区逢坂1-3
安居天満宮、ここが真田幸村戦死地です😮😮

真田幸村戦死地
大坂夏の陣(1615)で、区内の茶臼山に布陣した幸村、徳川家康の本陣を急襲するも、窮地に追い込まれ、この地で戦死しました😱😱