大阪のうめ吉大阪撮り歩記

ー27ー  旭神社

旭神社

大阪市平野区加美正覚寺1-17-30
旭神社、若宮八幡宮を摂社にもつ733年(天平5)頃に創建

社殿

社殿は二つ、この写真の右側に摂社・若宮八幡宮があります。
旭神社は、別名・旭牛頭天皇とも呼ばれます。
 旭神社の由来は、天平勝宝6年、風雨が収まらず困り果てていた時「櫛笥と橘の枝を大和川の上流から流し、流れ着いたところに櫛笥と橘を祀れば人々を安穏にさせよう」と八幡神のお告げ。
 大和と河内の国境から流したところ、流れ着いたのが大和川の中州であった渋川郡賀美郷。現在の加美正覚寺です。

 当時大和川は洪水のたびに流れを変える川でした。現在の柏原市方面から、平野区、大阪城方面に向かって流れていました。

正覚寺城跡

旭神社のこの地には正覚寺城がありました。弘法大師が建立したもの。
 1493年(明応2)、足利義材が高尾城を攻めたときの本陣となりました。明応の政変で足利らが細川政元に攻められここに籠城。正覚寺城と若宮八幡宮は全焼。若宮八幡宮はその後再建されましたが、正覚寺城は再建されませんでした。

クスノキ 樹齢600年

境内には樹齢600年のクスノキがあり神木とされています。大阪府指定の天然記念物です

椋?  (たぶんそうだと思いますが)

境内にはクスノキの他、ムクの木もあり、こちらは樹齢300年。他に銀杏の樹齢400年ものがあり、ともに府の天然記念物指定です

龍吐水

口から水をはいている龍

境内にある小さな鳥居、この横に正覚寺城の碑が建てられています

先述の櫛と橘の一件を聞いた孝謙天皇が、東大寺手向山八幡宮を勧請、若宮を祀らせ、橘を神木に。

橘の枝に朝日が輝き、牛頭天皇の社を照らしたことから旭牛頭無天皇社となり、旭神社となったものです。

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